大学時代の先生に会いに行こうとお正月に思ってからすでに3ヶ月が経ちました。
冬は苦手で暖かくなるのを待っていたんです。
やっと冬眠から覚めたので、この間、先生の住む滋賀県蒲生郡日野町のお寺まで出かけました。意外と近くて、車で1時間半くらいでした。
先生は、お寺の住職さんです。
実は、滋賀県蒲生郡日野町と言えば、私の出身地松坂とすごくご縁があるのです。
松坂城の城主の蒲生氏郷 は、 この近江のお方です。
蒲生 氏郷(がもう うじさと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、最後に陸奥黒川城主。
蒲生賢秀の三男(嫡男)。初名は賦秀(やすひで)[1]または教秀(のりひで)。キリシタン大名であり、洗礼名はレオン[2](レオ[2]、またはレアン[3])。子に蒲生秀行。
織田信長に人質ながらも寵愛され、信長の娘である冬姫を娶る。信長死後には各地で功績を挙げ、秀吉からも重用された。最終的には会津藩92万石となり黒川城を与えられ、改築して若松城と名を改め、会津藩の基盤を築いた。また、千利休の弟子であり、利休七哲にも数えられる一流の茶人でもあった。
松坂商人は、この日野町の近江商人が移り住んだと言われています。
もしかしたら、私の先祖は元は近江商人だったかも知れません。笑
実は、曽祖父は、「飾り屋職人」だったんです。今で言うと彫金職人です。
彫金を施した金銀などの飾り物 鶴とか亀とか、、、を作っていた職人だったようです。
かんざしとか、帯留めとか、布財布やタバコ入れなどの留め金を作っていたのでしょう。
そして、お店で販売もしていた、、、
ふと考えると、、、私と同じことやっていたんやなぁと思います。
ただ違うのは、私はガラスだけど、、、、。
先生のお寺も古いお寺だから、、、その昔、近江で何かのご縁があったのかも知れません。
そう考えると50年前の先生との出会いも何か不思議なご縁を感じます。
まるで夢物語のような、、、奇跡ですよね!
私、comb de shioを営んでいて、いつも基本的に思っていることがあります。
それは、この近江商人の「三方よし」の教えです。
三方よしとは「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の三方が満足している状態を指します。 売り手だけが儲けを得るのではなく、買い手にとっても満足があり、最終的には事業を通じて地域社会の発展に貢献するのが目指すべき商売の形であるという考え方です。
先生のお話からちょっと横道に逸れてしまいました。
1時過ぎに着いて、5時くらいまで話していました。
お話の内容は、意外と学生時代の話ではなくて、現在のお話に花が咲きました。
先生曰く「性格は変わらんなぁ」 ホント昔と変わらずでした!
先生は、現在84歳。私は71歳。お会いできて、、、そしてお互いに元気で嬉しい!
まあ、本当に早く月日が過ぎましたワ。
奥さまもお元気で、50年ぶりです。学生の時、マンションのお宅に呼んでいただきご馳走していただきました。
そして、Line 交換をして、帰ってきました。
帰宅後、先生からの初Lineには、「また、いらっしゃい」とありました。
もちろん、私は、「はーい」です。
なんと幸せな日でした。
皆さま、今回も読んでいただきありがとうございました。
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ガラスアーティスト。comb de shio主宰。
数々の賞を受賞後、1999年にグラススタジオ「comb de shio」を設立。独自の手法で彩色・焼成を繰り返し作り上げるモダンで新しい感覚のガラス作品は、壁面を飾るアート作品から、アクセサリーへと広がり、現在は様々なデパートやギャラリーを通して、感性豊かな女性達に支持されている。
本人曰く「面倒臭がり屋のおしゃれさん」。ガラスの美しさに留まらず、簡単に、楽に着けられるアクセサリーへの配慮やアイデアも、Isakoの作り出すアクセサリーの人気の理由のひとつ。
現在は、三重県津市のアトリエで、日々制作中。作品のこと、制作の事、おしゃれのことを気ままに綴ります。